ぼくらのほし(地球)/macaroni.

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とても素晴らしいことに度重なるご縁に恵まれて、なんとmacaroni.でつくった応援歌『ぼくらのほし(地球)』が佐賀の三養基地区及び神埼地区の中体連のテーマソングに採用されました。そして、なんと感謝状までいただきました!私たちが好きで始めてマイペースで続けている音楽が、誰かのお役に立てたことは心から大変嬉しく思います。応援していただいている皆さまや、いつも支えてくれている家族があってこそのmacaroni.です。心から感謝いたします。


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macaroni.のスタートの話ですが、同じフットサルチームのチームメイトのこうちゃん(福富功祐)と意気投合し、ギター片手に楽しんでいたのが始まりです。遊んでいるうちに2017年の夏にmacaroni.(妻が命名)としてなんとなく、手軽に演奏を楽しむスタイルで始めて今に至ります。
こんな形でまたスポーツと向き合い応援歌を提供する側になるとは夢にも思いませんでした。中体連の種目を調べ男子種目18種目で女子のみの競技が1種目で、合計19種目の競技のイラストをCDジャケット用に描きました。私にとって改めてスポーツと向き合う素晴らしい時間となりました。

この曲は以前、こうちゃんがギターで曲を作りコード進行を演奏して、応援歌にしたいと私に手渡してくれたのが始まりです。そこから曲のイメージを大事に浮かび上がる歌詞を並べてメロディーにのせました。今思えば広い意味での応援歌にしたいという、こうちゃんのイメージと私のイメージが奇跡的にピッタリと一致した事を、ふたりで驚いたのを今でも覚えています。(macaroni.は時々ミラクルが起きます。)※ファーストアルバム『マカロニサラダ』の2曲目に収録しています。

この唄を聴いてくれた方々が少しでも気持ちがふわりと前向きになってもらえたらうれしいです。今この瞬間に頑張って乗り越えようとしてる自分を見つめたり、また乗り越えた先を想像したり。当時頑張っていたことを思い出したり、いろんな方々の勇気のカケラになれたらとてもうれしいです。

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ぼくらのほし(地球)       2019.1.7

作詞Hiro.M(宮﨑洋) 作曲福富功祐


広い意味での応援歌。何かを乗り越えようとした時の心の支えになれば!と思い書きました。コンセプトはさりげなく守破離です。

守破離という言葉の中には、実は心という言葉が隠されているように感じます。相手を敬う心。感謝の心。整える心。剣道には残心という言葉があり、この残心が感じられないと決して1本にはなりません。きっとこの心を持つことが人間の成長につながると感じています。守破離(心)。



2019.10.27 macaroni live at jazz bar rondo.


ぼくらのほし(地球) 2019.1.7         

作詞Hiro.M(宮﨑洋) 作曲福富功祐


ぼくらの住むこのほし(地球)で  

電車の窓から溢れる光

記憶の先に見えて        

そんないま(現在)になってるの?


守り続け   

破り捨てて   もっと遠く


駆け出していた あー あの頃の  

風の音は いつまでも覚えていて

抜け出していた あー あの場所の  

雨(風)の音は 扉の向こうに消えてった


明日を描くキャンバスに     

どんな色の絵の具を重ねるのかい?

新しい朝に目覚めて        

そんな自分になってるの?


走り続け   

突き抜けて   もっと遠く


駆け出していた あー あの頃の  

風の音は いつまでも覚えていて

抜け出していた あー あの場所の  

雨(風)の音は 扉の向こうに消えてった


~ラララ~


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ここから少し長くなりますのでご興味ある方のみお読みください。(私のスポーツ遍歴覚書)


実は、私にとってのスポーツは無くてはならないものでした。小学生の低学年の頃アニメ(キャプテン翼)の影響もあってサッカーが大好きな少年でした。通っていた小学校にサッカー部がなかったのもあって友だちを集めて我流でボールを蹴って楽しんでいました。たまの交流試合などでは、臨時でチームを組み試合をしていました。そんな中、剣道を続けている父からの勧めで剣道を始めることとなりました。(大好きなサッカーに後ろ髪を引かれながら)道場に入門しそのまま中学校まで続けました。なので私にとっての中体連は剣道でした。その当時の成績はあまり覚えていませんが、上位に食い込む程の結果ではありませんでした。ただいつの間にかのめり込み日々の鍛錬による自身の成長などは、とても良い経験になりました。特に道場で学んだ精神性は今でも心の中にあると思います。

実は、父とは高校まで続ける約束で高額な防具を買ってもらっていたのですが、どうしても大好きなサッカーが諦めきれず、父の思いを裏切って高校ではサッカー部に入りました。当然みんなよりスタートが遅いので、みんなの何倍も練習しないと追いつけないのは当然自覚していましたので、そのつもりで出来る限り努力はしました。元々運動神経には自信がある方でスポーツテストでは校内で3番手くらいの能力はありましたので、サッカーらしく出来るまでにはあまり時間は掛からなかったように勝手に思い込んでいました。ただそういえば元々基礎を教えてもらった経験が全くなく、自分でクラマー(日本サッカーの父)さんや釜本(元日本代表)さんの本を図書館から借りてきて読んで学ぶくらいしかできていませんでした。基本がキッチリとできていないので、当然レギュラーにはなれませんでした。足の速さを見込まれてフォワード(当時右ウイング)からキャリアスタートし、サブのゴールキーパーも1年間経験しました。3年生の最後の試合はフォワードで控え選手だったのですが、今思い返せば監督に9番(とても好きな番号です)をつけてもらっていました。ただただもがいたこのサッカー人生は、私にとってはかけがえの無い時間になりました。なんせ大好きなサッカーを誰からも文句を言われることもなく続けたのですから。肉離れした時も片足で自転車を漕ぎました。雨の日も風の日も15キロ程の道のりはとても良いトレーニングになっていたかもしれません。

さあ引退してとうとう大学受験をどうするか?となった時に、私はいつも頭の中にあるスポーツの道に進むつもりで先生に体育大学の受験を相談したのですが、今までに結果の残せていない私の経歴では無理だろうと当時の担任の先生から言われました。私は素直にその言葉を受け止めて理系科目が得意でイメージを描くのが割と好きなこともあり、建築の設計をする人になりたいと建築学科に進みました。大学では、サッカーを続けたい思いもありましたが、なかなか上手くならないジレンマもあり友だちの誘いでアメリカンフットボール(体育会)を4年間続けました。1年生からレギュラーとして試合に出場させてもらっておりましたが、2年生の時に交流試合で相手選手のアフタータックルで背骨の一部を骨折し、とてもダメージを受けました。その後復帰して続けましたが怪我の影響もあってか椎間板ヘルニアも発症し何度も苦い経験をしました。

そこで救ってくれたのが実は音楽でした。今までは私にとって当たり前のような存在のスポーツはこれから先、長くは続けられないかもしれないという恐怖心から、当時聴いていたボブディランのアコースティックギターとブルースハープだけで歌を唄うという、何ともシンプルなスタイルに憧れて、アコースティクギターとブルースハープを買ったのが私の音楽人生の始まりになります。(完全に我流です)

社会人になってからもサッカーやフットサルもリーグ選手登録なども続けたりギター弾き語りを楽しんだりしました。当時そういえば職場の先輩達とロックバンドを組みオリジナルの曲を唄ったりもしました。

最後になりましたが、ここまでスポーツを続けて来れたのは、熱心な指導者の先生たちのおかげだと思ってます。そして共にプレイしてきた仲間がいたから頑張れた気がします。そして音楽との出逢いに感謝いたします。ありがとう。

(長文失礼しました。)



by h-miya29 | 2021-07-13 17:56 | 音楽

小さな建築家の唄/ミヤザキヒロシ


by h-miya29